う、まして人気商売ということによって、いかな口実もつくられる。その上に内所《ないしょ》は苦しい、お鯉のお宝は減るばかりだった。そこで見て見ぬふりもならぬとなったのは、養われなければならないという二人の老母の、ひそひそ話の結果であった。
去るものは疎《うと》し――別離は涙か、嘲罵《あざけり》か、お鯉は昔日《むかし》よりも再勤の後《のち》の方が名が高くなった。羽左衛門《たちばなや》のお鯉さん、桂《かつら》さんのお鯉さんとよばれる一代の寵妓《ちょうぎ》となった。先夫が人気の頂上にあった羽左衛門であることも、後の旦那が総理大臣陸軍大将であることも、渦巻の模様の中心となった流行《はやり》ッ児《こ》の俳優《やくしゃ》――ニコポン宰相の名を呼ばれ、空前とせられた日露戦争中の大立物《おおだてもの》――お鯉の名はいやが上に喧伝《けんでん》された。
「どうしてどうして現今《いま》のおはるさん(羽左衛門の細君の名)は働きものです。それは自分の持って来たものはあるけれど、どうしても養母《おっか》さんが強《しっ》かりしているから、なくなさせやしません。あの細君が来てから、不義理はみんなかえしたのです」
羽
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