左衛門が年少で、技芸《わざ》も未熟であり、給料も薄く、そして家には先代以来の借財が多かった時分に、身の皮まで剥《は》いて尽したのが洗い髪のおつまである。ままにならぬ世を果敢《はか》なんだ末に、十八の若旦那市村は、身まで投げたほどだった。おつまはその心にほだされて、ありとある事を仕尽したが、結局はお鯉が嫁入りするようになった。もうそのころ羽左衛門は昔日《むかし》の若造でもなければ、負債があるとはいえ、ひっぱり凧《だこ》の青年俳優であった。またその次の細君の時代は、羽左衛門の一生に、一番|覇《は》を伸《のば》しかけた上り口からで、好運な彼女は、前の人たちの苦心の結果を一攫《いっかく》してしまったのであった。
「お鯉さんときたら、あんまり慾がなくって、だらしないくらいでしたからね、あれじゃとても羽左衛門は立ちませんでしたあね。なんしろ手当り次第にやっちまうのでしたからね。誰れか下の者が訪《たず》ねてゆくでしょう「お前に何かやりたいねえ」というと、何処からか到来物らしい、新しいラッコの帽子を、そらきた、とやるのですからね。一事が万事で大変でさあね」
猫背《ねこぜ》な三味線の師匠は、小春日和《
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