れていまもあの辺に住んでいる女から、お鯉の生家は、いま三河屋《みかわや》という牛肉屋のある向角《むこうかど》であったということを聞いたことがあったので、さまざまに取沙汰《とりざた》されている、この女の生れを聞定《ききさだ》めようとした。そしてしげ子さんのことも――。するとその事が本当であって、三河屋が親切にその家のあとも引取ってくれたのだといった。
「家の退転時《ほろびるとき》が来たのでしょうか、漆屋というものは、漆のあわせかたがむずかしいもので、秘伝のようになっていたそうです。わたしを生ませた父が養子に来て死ぬころまでに、数代つづいたますや[#「ますや」に傍点]の店もいけなくなりました。妹の父が来ても家をゆずらなければならなくなって、わたしは安藤へ養女にやられ、妹は両親と、秋田の鉱山へいってしまったのです。後に母が病身になったと聞いたのでわたしの方へ母を引取りましたのです。秋田には多勢の子供がありますから、あたしにはたった一人の妹を無理に貰って、実家の片岡の方の家をつがせることにしました。おかげさまと、どうやらこの店もやってゆけます。株式をやめて、わたくしの店にしてしまうような相談も
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