のあげくの口上がこれである。
「面倒くそうございますから、なにもかもみんな御前《ごぜん》に差上げます」
 そして目録を書いてある遺書を、さっさとおいてお鯉は帰ってしまった。

 お鯉の家の門前は急に人足が茂くなった。手をかえ品をかえ、温顔に恐面《こわおもて》に、さまざまの人が、さまざまの策略をめぐらして訪問するのであった。慰問使、媾和《こうわ》使、降伏説得使なのである。鯉の頭は猶更《なおさら》下ろうとはしない。その多くのなかに異色ある者が二人あった。男女互に一人ずつ、共に有名な人物である。
 女は当代の名物女とゆるされた故「喜楽」の女将《おかみ》おきんであった。男は政界の名物|法螺丸《ほらまる》と綽名《あだな》をよばれた、杉山茂丸という人である。
 杉山は度々仲にはいって足をはこぶうちにお鯉のいうことに耳を傾けるようになった。そしてその方が理窟のあることだと同情してしまった。つまり説得するものが説破《せっぱ》されたのである。この人はお鯉の利益になるように説くようになった。そこで、喜楽の女将が、我こそと手ぐすねをひいて出て来たのだ。自分でなければ、ああひぞってしまった女を、説附《ときつ》
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