こにおいてお鯉の目には明治の元勲井上老侯もなければ、財界の巨頭たちもないのであった。たかが女一人を――その財産を、自由を、子供の教育を、何もかもを、女と侮って、寄ってたかって、何のために押えつけようとするのであろう。それも旦那の生前に頼まれていたとでもいうのならいざ知らず、横合《よこあい》から飛出して来たおせっかいである。
千金の壺《つぼ》だといっても、その真価を知らぬものには三文にもあたいしない代物《しろもの》としか見えない。さすがの老侯も物質尊重のお歴々には、あがめたてまつられている御本尊であるが、お鯉にとっては、おせっかいな世話やき爺《じじい》に過ぎない。世外《せがい》どころか、おせっかいにも、他家《よそ》の台所の帳面まで取りよせて、鼻つまみをされる道楽があった。天下の台所の世話やき、お目附けは結構でも、老いては何とやらの譬《たと》え、ついには他人の妾《めかけ》の台所まで気にするようになられたものと見える。
さはあれ引っ込みのつかなくなったのは、実に思いがけない事であろう。天下に、この俺にむかって楯《たて》をつくものがあろうかと思っている鼻さきを、嫌というほどにへし折って、そ
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