いっ児《こ》で、浜町花屋敷の弥生《やよい》の女中をしていた女が、藁《わら》の上から貰った子を連れて嫁入ったのだとも言った。
「お鯉さんは清元が上手ですよ、養父さんがしこんだんですからね。十三くらいに、弥生さんの手伝いをしていて、それから花柳界へ出たのです。豪勢な出世もしたかわりに、これからが寂しいでしょうね、肩の荷のなくなった時分にゃ、もう老《ふけ》込んでしまいますからね」
名物お鯉の後日譚《ごにちがたり》は、膾《なます》になっても生作《いきづく》りのピチピチとした生《いき》の好いものでなければならないと、わたしはひそかに願っていた。すると、かなしいことにお鯉は永平寺の坊さんの、大黒《だいこく》になったという腥《なまぐ》さい噂《うわさ》を聞いた。おやおやと落胆してしまった。
願うのではないが、有為の青年と、真に目覚《めざめ》た、いままでの生涯に、夢にも知らなかった誠実を糧《かて》にして、遺産は子供と母親たちに残して、共に掌《て》に豆をこしらえるふうになってしまったときいたならば、わたしはどんなに悦んだであろう、それこそお鯉さん万歳をとなえたかも知れない。しかし、いかに、暖かい褥《
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