。お鯉はそのために切髪とならなければならず、思いもかけぬ子に母とよばれなければならぬことになった。そうした考慮《かんがえ》が、お鯉自身から生れようか、生れるはずがないのである。
 柳橋に、一藤井《いちふじい》という、芸妓を多勢|抱《かか》えている家があった。そこの、あんまり名も知れない抱え芸妓のひとりが、どうしたことか桂公のおとしだねだということが知れた。そんな始末もお鯉がするようになった。妹ともよんでよい年頃の女に母と呼ばれて、お鯉はどんな気がしたであろう。その女をともかく一角《いつかど》の令嬢仕立にするまでお鯉の手許《てもと》においた、そして嫁入りをさせて安心したといった。しかしやがて五万円は諸々《もろもろ》の人の手によって手易《たやす》く失われてしまった。
「お妾のする仕方じゃない」
 それらを考えるときに、その言葉が生《いき》てくる。

 そのころのお鯉の生活の逼迫《ひっぱく》が、お〆さんの口から、ちらりと洩らされたことがある。
「金にあかしてこしらえたものも、こうやって二束三文に手離しておしまいなさるんですよ。お気の毒さまですね、お邸こそ以前《もと》のままですけれど、おはなし
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