に瞳《ひとみ》は熱っぽく輝いた。
「わたしに残して下さった遺産は七万円からあったのです。それから三人の子供をわたしの子にしていたのです。そうして残されたものが、わたしのものではないように、他人《ひと》がとやこういって、肝心のわたしが頭をさげて利息をすこしばかり貰《もら》いにゆくという、おかしな事がありましょうか?」
そんなばかなことをと、誰しもがその時答えるであろう。ましてわたしには、数字は違っているが、そんな運命にあって、二人の男の子を抱いて、物価騰貴のおりから苦しんでいる妹を持っているので、他人《ひと》ごとならず感じられた。此処にもそうした女性があるのか、女というものはどうしてこうまで虐《しいた》げられ、自己の権利を蹂躙《じゅうりん》されるものかと怒りがこみあげてくるのであった。
そのおり令妹のしげ子さんがはじめて口をはさんだ。
「わたしは姉ともう五年一所に暮しています。はじめは、姉が寂しい気持ちのドン底にいた時に、わたしというものを思出して呼びよせたのです。わたしと姉とは、まるで育ちも境遇も違うので、行ってもどんなものかと思ったのでしたが、来て見ると、聞くと見るとは大違いなので離れる事が出来なくなりました。あの時は、全く姉は孤立で、真に心淋しかったのだろうとよく思出します。世の中の噂のようなことが本当ならば、わたしは志望《こころざ》した道を投捨《なげすて》てまで、五年間もこうして姉さんをたすけていやあしません。姉さんの犠牲になって、こうした商業《しょうばい》の帳附けや監督になんぞなりはしません」
と、しんみりと言った。全く彼女にはそう思えたに違いない。秋田で育って県の女学校にはいり、女医を志望していた人には、あまりな商業《しょうばい》ちがいである。
「全くこの妹には気の毒だったのですけれど――この妹でもいてくれなくっちゃ、――この家業だって、ビールか葡萄酒《ぶどうしゅ》でなくっては、西洋のお酒の名さえ分らないのではねえ」
お鯉は眼をふせて面伏《おもぶ》せそうに笑ったが、
「わたしにしてもよくよくだったのです。姉さんが気の毒でとても離れられなかったので、一緒にいろいろ心配もしましたが、その頃のことはわたしも知りませんでしたけれど、あとで聞いて見ると、姉は、自分の事は自分でする、他人の差図《さしず》やお世話にはなりたくないと思っていたらしかったのですね」
と
前へ
次へ
全27ページ中18ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
長谷川 時雨 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング