》はくやしいと思っても、段々|馴《な》れて、それに反抗心も出て、勝手になんでも言うが好《い》い、いくらでも書くが好いという気になって、意地悪になってしまって……」
六
彼女の頬《ほお》は、暖炉や飲料《のみもの》のためではなくカッと血の気がさした。それを見ると、わたしは気持ちがすがすがしくなって、お鯉は生ている、生作りの膾《なます》だと、急に聞く方も、ぴんとした。
「あたしは貴女にいろいろ聞きたいことがあるのですが、みんな後にしてしまって、桂さんに御死別《おわかれ》になったあとのことが――さぞ、世評は誤解だらけでしょうから、ありのままのことをお話して頂きたいのです」
わたしが無作法にも、訪問記者のようなことを言出したのは、あの頃――桂侯爵の逝去ののち、愛妾お鯉に、いくら面会をもとめても家人が許さなかったというような新聞記事を見ていたからであった。気の弱いわたしはそこまで立入った問《とい》は心がゆるさなかったので、その真偽は聞きもらしたが、思いがけない面白い――面白いといってはすまない、その人にとれば、いままで、善を悪として伝えられ、白を黒と発表されていた事柄なのだった。お鯉という女の真意は、かくのごとく清く滞らないものであるということを語るには、ありのままを記《しる》そう。
この女《ひと》も意気の女だった。何もかも振りおとして、重荷をはらってしまおうと思うと、慾も徳も考えない気短な、煩《うる》さがりやの、金銭に恬淡《てんたん》な感情家なのだった。わたしは、自分にも、共通の弱点のあることを考えてほほえんだ。痛快にも思った。
人はあるいはいうかも知れない。些細《ささい》な感情などに動かされて、利害を忘れ、長き後《のち》の悔《くい》を残すと――けれど、もしそういう人があったならば、わたしは誇らしく面《おもて》をあげていうであろう。冷徹な理性の人にも失敗はある。感情に激しやすくっても失敗はある。いずれが是《ぜ》、いずれが非《ひ》と誰れが定められよう。感情の複雑な人ほど、美人は人間的の美をますと――
彼女は白い手に銀の小刀をとった。赤い柿《かき》の皮が細く綺麗につながってゆく。エメラルドは指に碧《あお》く、思出は彼女の頭の中をくるくると赤く、まざまざと巻返えされていると見える。彼女の眼の色は早春の朝のように澄んで冷たく、初夏の宵《よい》の、明星のよう
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