て出ていった。わたしは取次ぎをまって佇んでいた。
何処《どこ》の珈琲店《カフェー》にもある焦茶《こげちゃ》の薄絹を張った、細い煤竹《すすだけ》の骨の、帳《とばり》と対立《ついたて》とを折衷したものが、外の出入りの目かくしになって、四鉢ばかりの檜葉《ひば》や槙《まき》の鉢植えが、あんまり勢いよくはなく並べられている。その後には白蝋石《しろいし》の小卓が幾個か配置されてある。その卓のとっつきの一つで、小柄な娘がナフキンを馴《な》れた手附きでせっせと畳んでいる。頸《くび》に湿布《しっぷ》の繃帯《ほうたい》をして、着流しの伊達《だて》まきの上へ、緋《ひ》の紋ちりめんの大きな帯上げだけをしょっている女は、掃き寄せを塵取《ちりと》りにとったりして働いていた。やがて、お酒と、煙草と、夜更《よふか》しと、おしゃべりとで、声がつぶれてしまったのであろうと思われる、不思議な調子の若い男が、短衣《ちょっき》で出て来て、キャラキャラした声で来意をたずねた。
短衣の小男は人気者と見えて、すこしの間にみんなから話しかけられていた。階段の下の、酒場の掃除をしている二、三人の娘たちは、その男の名をケンチャン、ケンチャンと呼んでいた。
酒場の娘の一人はこんなことをいっていた。
「随分飲んだわ、なんとかいっちゃ一ぱい、かんとかいっちゃあ一ぱい……」
「……あたしね、一万円あれば八千円で帯を買って、あとの二千円は……とかする」
ケンチャンがその時なかなか面白いことを言ったに違いなかった。みんな元気に機嫌《きげん》よく笑ったが、聞きつけないものには、何をいっているのか、あんまりな上声《うわごえ》で、まるでわからなかった。すると、ナフキンをたたんでいた娘が、
「ライオンは多田さんという人がいるのよ、そりゃ面白いってっちゃないの、(よくって多田さん、それじゃこれ無代《ただ》よ、無代《ただ》よ)ってみんなが言うのよ」
それが、言う人には非常に興味ありげであった。そのとき黒い服を、ちゃんと身につけた給仕長らしい男が迎えに出た。そしてわたしは二階に導かれた。
表二階の食堂を通りぬけると、間の室《へや》は二階の給仕娘の控室であるらしかった。
裏階段のあるところで、四、五人が着物を着たり身づくろいをしていた。わたしは其処《そこ》も通りぬけて、奥まった別室へ通された。
手はこびの暖炉《すとうぶ》がはこば
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