いっ児《こ》で、浜町花屋敷の弥生《やよい》の女中をしていた女が、藁《わら》の上から貰った子を連れて嫁入ったのだとも言った。
「お鯉さんは清元が上手ですよ、養父さんがしこんだんですからね。十三くらいに、弥生さんの手伝いをしていて、それから花柳界へ出たのです。豪勢な出世もしたかわりに、これからが寂しいでしょうね、肩の荷のなくなった時分にゃ、もう老《ふけ》込んでしまいますからね」
名物お鯉の後日譚《ごにちがたり》は、膾《なます》になっても生作《いきづく》りのピチピチとした生《いき》の好いものでなければならないと、わたしはひそかに願っていた。すると、かなしいことにお鯉は永平寺の坊さんの、大黒《だいこく》になったという腥《なまぐ》さい噂《うわさ》を聞いた。おやおやと落胆してしまった。
願うのではないが、有為の青年と、真に目覚《めざめ》た、いままでの生涯に、夢にも知らなかった誠実を糧《かて》にして、遺産は子供と母親たちに残して、共に掌《て》に豆をこしらえるふうになってしまったときいたならば、わたしはどんなに悦んだであろう、それこそお鯉さん万歳をとなえたかも知れない。しかし、いかに、暖かい褥《しとね》にじっとしていたいからとて、母親の御意のままになるがよいとて、人もあろうに出家の外妾とは、どうした心の腐りであろうと、好きな女であるだけに厭《いや》さが他人《ひと》ごとではないような気がした。とはいえ坊さんにだからとて恋がないとはいえないと弁護をして見ても、お鯉がその青年を捨《すて》てまで、または捨られたとしても、それにかえるに老年の出家を選もう訳がない。そこにはどうしても物質から来た賤《いや》しい目的が絡《から》まなければならない。
彼女は大森にいると伝えられた。生麦《なまむぎ》にかくれているとつたえられた。鎌倉に忍んでいると伝えられた。
多恨なる美女よ、涙なしに自身の過去《すぎこ》しかたをかえりみ、語られるであろうか。わたしはあまりに遠くから聴き、また見た記憶のまぼろしばかりを記しすぎた。近づいてあきらかに今日の彼女を知らなければ心ない噂と、遠目の彼女で全体をつくってしまう恐れがある。折よくも彼女は彗星《すいせい》のようにわたしたちの目の前に現われた。銀座のカフェー、ナショナルは彼女が新《あらた》に開いた店だということである。わたしは其処へいって、親しく、近しく、彼女の
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