。お鯉はそのために切髪とならなければならず、思いもかけぬ子に母とよばれなければならぬことになった。そうした考慮《かんがえ》が、お鯉自身から生れようか、生れるはずがないのである。
柳橋に、一藤井《いちふじい》という、芸妓を多勢|抱《かか》えている家があった。そこの、あんまり名も知れない抱え芸妓のひとりが、どうしたことか桂公のおとしだねだということが知れた。そんな始末もお鯉がするようになった。妹ともよんでよい年頃の女に母と呼ばれて、お鯉はどんな気がしたであろう。その女をともかく一角《いつかど》の令嬢仕立にするまでお鯉の手許《てもと》においた、そして嫁入りをさせて安心したといった。しかしやがて五万円は諸々《もろもろ》の人の手によって手易《たやす》く失われてしまった。
「お妾のする仕方じゃない」
それらを考えるときに、その言葉が生《いき》てくる。
そのころのお鯉の生活の逼迫《ひっぱく》が、お〆さんの口から、ちらりと洩らされたことがある。
「金にあかしてこしらえたものも、こうやって二束三文に手離しておしまいなさるんですよ。お気の毒さまですね、お邸こそ以前《もと》のままですけれど、おはなしになりませんやね。いまじゃ米屋が強面《こわもて》で催促していることもありますものね」
お〆さんにも多少の感慨はあるか、金の義歯《いれば》のチラリと光る歯で、四分一の細い吸口《すいくち》をくわえたまま、眉間《みけん》にたて皺《しわ》を二本よせて、伏目になっていた。
「お髪《ぐし》のものもなにも、あれじゃもう入りません。けれどおかわいそうです。あの気性じゃたいへんです」
その折り、麻布の家に一人の青年がいて、その人が一人お鯉のことに誠実を尽してやっているといった。またしばらくたってから来ると、こんどはその青年が、下にもおかずもてなされているらしいことを語った。
「食事でもなんでもお上通《かみどお》りで、お鯉さんとひとつに食《たべ》るのですよ。あの方が身を立《たて》てあげればだが、お鯉さんもそれまでにはまた一苦労ですね」
と、隠居たちが派手なしきたりや、お鯉自身もどんなに困っても昔時《むかし》の通りだということを、どうしようもないように呟《つぶや》くように話した。
お〆さんは、お鯉の真実の親は、ほんとは誰だか分らないのだとも言った。清元《きよもと》倉太夫の子だというがそれは貰《もら》
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