口から物語られる彼女を知ろうと思う。

       三

 大正九年も終る暮の巷《ちまた》を、夕ぐれ時に銀座の、盛《さかん》な人渦の中を、泳ぐというより漂ってわたしはいった。
 クリスマス前の銀座は、デコレーションの競いで、ことに灯《ひ》ともし時の眩《めま》ぐるしさは、流行の尖端《せんたん》を心がけぬものは立入るべからずとでもいうほど、すさまじい波が響《どよ》みうねっている。これが大都会の潮流なのだろうと、しみじみと思わせられながらわたしはゆく――
 今年の花時、花が散るとすぐあとへ押寄せてきた、世界大戦後の大不況のドン底の年末だとは、銀座へ来て、誰れが思おう、時計に、毛皮に、宝石に、ショールに、素晴らしい高価を示している。そしてその混雑の中を行く人は、手に手に買物を提《さ》げている。高等化粧料を売る資生堂には人があふれている。それも婦人ばかりではない、男が多かった。関口洋品店は流行のショールがかけつらねられて、明るさはパリーなどを思わせるようで、その店も人でざわざわしていた。美濃常《みのつね》では、帽子や、手袋や、シャツや、どれが店員なのか客なのか、見分けられないほどに黒く白かった。わたしはその中をぼんやりと歩いた。
 華やかな笑い声がきこえる。はっと我にかえると羞明《まぶ》しい輝きの中にたっている自分を見出《みいだ》した。そして前には美しいショールの女の五、六人が、中を割って、わたしを通して行きすぎた。すぐまたその後へ、キチンとした洋服の、すこしも透《すき》のない若紳士の群れが来る。わたしはしどろもどろである。乾《かわ》いて来た洗髪にピンがゆるんで、束髪《そくはつ》がくずれてくる煩《うるさ》さが、しゃっきりして歩かなくってはならない四辺《あたり》と、あんまり不似合なのに気がつくと、とって帰したいようになった。
 三丁目で、こんな店も銀座通りにあるかと思うような、ちょっとした小店で、眉毛《まゆげ》を剃《そ》ったおかみさんが、露地口《ろじぐち》の戸の腰に雑巾《ぞうきん》をかけていた。聞きよかろうと思って、カフェーナショナルは何処ですかと問うと、
「知りませんねえ、そんな家は。カフェーっていう洋食やならありますけれど」
 わたしはまた、銀座通りの店にこうした女房《おかみ》さんもあるのかと、お礼を言って離れた。
 尾張町《おわりちょう》の交番でたずねると、交番の巡査は
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