たお貞《てい》さんで、奴は川上のお貞《さだ》さんであった。浜田屋には強いおっかさんがいるのだという事もきいたが、わたしが気をつけて見るようになってからは、これもよい縹緻《きりょう》だった小奴という人の御神灯がさがっていて奴の名はなかった。そのうちにおなじ住吉町の、人形町通りに近い方へ、写真屋のような入口へ、黒塗の看板《サインプレート》がかかって、それには金文字で川上音二郎としるされてあった。そして其処が奴のいるうちだと知った。またその後、大森の、汽車の線路から見えるところへ小さな洋館が立って、白堊《はくあ》造りが四辺《あたり》とは異《ちが》っているので目にたった。それも川上の新らしい住居《すまい》である事を知った。それは鳥越《とりこえ》の中村座で川上の旗上げから洋行までの間のことである。
三
歴代の封建制度を破って、今日の新日本が生れ、改造された明治前後には、俊豪、逸才が多く生れ、育《はぐ》くまれ培《つちか》われつつあった時代である。貞奴は遅ればせに、またやや早めに生れて来たのである。生れたのは明治四年であった。そして後年、貞奴に盛名を与えるに、柱となり、土台となっ
前へ
次へ
全63ページ中34ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
長谷川 時雨 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング