のだ。自分の幸福なのと、九女八の不幸なのとをくらべて見て、つくづくそう思ったのであろう。それから推しても貞奴が、どれほど夫を信じ、豪いと思っていたかが分る。川上にしても貞奴に対してつねに一歩譲っていた。貞奴もまた負けていなかったが、自分が思いもかけぬような名をなしたのも川上があっての事だ、夫が豪かったからである、みんなそのおかげだと敬していたと思える。そうした敬虔《けいけん》な心持ちは、彼女の胸にいつまでも摺《す》りへらされずに保たれていたゆえ、彼女がつくらずして可憐であり初々しいのだ。彼女の胸には恒《つね》に、少女心《おとめごころ》を失わずにいたに違いない。
 わたしはいつであったか歌舞伎座の廊下で、ふと耳にした囁《ささや》きをわすれない。それは粋《いき》な身なりをしている新橋と築地《つきじ》辺の女人らしかったが、話はその頃|噂立《うわさだ》った、貞奴対福沢さんの問題らしかった。その一人の年増《としま》が答えるところが耳にはいった。
「それは違うわ、先《せん》の妾《ひと》はああした女《ひと》でしょう。貞奴さんはそうじゃない、あの人のことだから、お宝のことだって、忍耐《がまん》が出来る
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