、何につけて人というものは深い察しのないものね」
などいってる時は、ただ普通の、美しい繊弱《かよわ》い女性とより見えないが、ペパアミントを飲んで、気焔《きえん》を吐いている時なぞは、女でいて活社会に奮闘している勇気のほども偲《しの》ばれると言った。それでも芝居の楽《らく》の日に、興行中に贈られた花の仕分けなどして、片づいて空《から》になった部屋に、帰ろうともせず茫然《ぼうぜん》と、何かに凭《もた》れている姿などを見ると、ただなんとなく涙含《なみだぐ》まれるときがある。マダム自身もそんなときは、一種の寂寞《せきばく》を感じているのであろうともいった。
 寂寞――一種の寂寞――気に驕《おご》るもののみが味わう、一種の寂寞である。それは俊子さんも味わった。その人なればこそ、盛りの人貞奴の心裡《しんり》の、何と名もつけようのない憂鬱《ゆううつ》を見逃《みの》がさなかったのであろう。
 貞奴は、故|市川九女八《いちかわくめはち》を評して、
「あの人も配偶者が豪《えら》かったら、もすこし立派に世の中に出ていられたろうに、おしい事だ」
といったそうである。これもまた貞奴なればこそ、そうしみじみ感じた
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