のであろう。功なり名《な》遂《と》げ、身《み》退《しりぞ》くという東洋風の先例にならい、女子としては有終の美をなしたと思ったであろう。貞奴という日本新劇壇の最初にもった女優には、何処までも劇に没頭してもらいたかった。あの人の塁《るい》を摩《ま》そうと目標にされるような、大女優にして残したかった。こういうのも貞奴の舞台の美を愛惜するからである。

 貞奴は癇癪《かんしゃく》持ちだという。その癇癪が薬にもなり毒にもなったであろう。勝気で癇癪持ちに皮肉もののあるはずがない。それを亡《なき》川上の直系の門人たちが妙な感情にとらわれて、貞奴の引退興行の相談をうけても引受けなかったり、建碑のことでも楯《たて》を突きあっているのはあまり狭量ではあるまいか。かつて女優養生所に入所した、作家田村俊子さんは、貞奴を評して、子供っぽい可愛らしい、殊勝らしいところのある、初々《ういうい》しくも見えることのある地方の人の粘《ね》ばりづよい意地でなく、江戸っ子|肌《はだ》の勝気な意地でもつ人で、だから弱々と見えるときと、傍《そば》へも寄りつけぬほど強い時とがあって、
「愚痴をいうのは嫌いだからだまっているけれども
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