うと思うほど立派なもので、ありふれた貧弱なものではなかった。最初の女優を迎えた物珍らしさと、憧憬《どうけい》する泰西の劇をその美貌の女優を通して見るという事が、どれほど若い者の心を動かしたか知れなかった。京都で大学生が血書をして切《せつ》ない思いのあまりを言い入れたとかいうような事は、貞奴の全盛期にはすこしも珍らしい出来ごとではない。そんな事に耳をかしていたならば、おそらくはも一人|別《べつ》に彼女というものがあって、専念それらの手紙や会見の申込みに一々気の毒そうな顔をして断りをいったり書いたり、謝《あやま》ったり、悦んだりしていなければならないであろう。文壇の人では秋田雨雀《あきたうじゃく》氏が貞奴心酔党の一人で、その当時|早稲田《わせだ》の学生であった紅顔の美少年秋田は、それはそれは、熱烈至純な、貞奴讃美党であった。いまでもその話が出れば秋田氏はごまかさずに頷《うなず》く、
「まったく病気のように心酔していたのですね、どんな事をしても見ないではいられなかったのだから」
 はっきりとそう言って、古き思出もまた楽しからずやといったさまに、追憶の笑《えみ》をふくまれる。わたしの眼にも美し
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