人の舞台が、こうまで可憐であろうとは、ほんとに見ぬ人には信じられないほどである。それはわたしの贔屓目《ひいきめ》がそう言わせるのではない。彼地の最高の劇評家にも認められた。アーサー・シモンズも著書の頁のいく部分を彼女のために割《さ》いた。
 それは彼女の過去の辛苦が咲かせた花であろう。外国へ彼女が残して来た日本女の印象が、決してはずかしくないものであったことだけでも、後から出たものは感謝しなければならない。後《のち》のものは時代の要求によって生れて来たとはいえ、彼女の成功を見せた事が刺戟《しげき》になっている事はいうまでもない。彼女が海の外へ出ていてした仕事も、帰朝《かえ》って来て当時の人に目新しい扮装ぶりを見せたのも、現今の女優のまだ赤ん坊であったころのことである。策士川上が貞奴の名を揚げるために種々《いろいろ》と、世人の好奇心をひくような物語《ローマンス》を案出するのであろうとはいわれたが、彼女の技芸に、姿色《ししょく》に、魅惑されたものは多かった。それは全く、彼女によって示された、「祖国」のヒロインや「オセロ」のデスデモナなぞは、今日の日本劇壇にもちょっと発見することが困難であろ
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