くすであろう。詩人の群はいみじき挽歌《ばんか》を唄《うた》って柩《ひつぎ》の前を練りあるくであろう。楽人は悼《いた》みの曲を奏し、市人は感嘆の声をおしまず、文章家は彼女が生れたおりから死までが、かくなくてはならぬ人に生れたことを、端厳《たんごん》な筆に綴《つづ》りあわせたであろう。わたしはそうした終りを最初の女優のこの人に望んだ。そう望むのが不当であろうとは思っていない。
 引退のおりの配りものである茶碗には自筆で、
[#ここから4字下げ]
兎《と》も角《かく》ものがれ住むべく野菊かな
[#ここで字下げ終わり]
の詠がある。自選であるか、自詠であるかどうかは知らないが、それにしても最初の句の「ともかくも」とは拠《よん》どころなくという意味も含んでいる。仕方がないからとの捨鉢《すてばち》もある。まあこんな事にしておいてという糊塗《こと》した気味もある。どこやらに押付けたものを籠《こ》めていて不平がある句といってもよい。「とりあえず」「どうやらこうやら」という意にも訳せないことはないが、それでは嘘になる。何故ならば、彼女の引退は突然の思立ちかも知れないが、そうした動機が読みこまれているよう
前へ 次へ
全63ページ中22ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
長谷川 時雨 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング