れは貞奴の生涯の、前半生の頁《ページ》だけを繰ってそれで足れりとする人のいう事である。何にも完全はのぞまれないとしても、わたしという慾張りは、おなじ時代に生れた女性の、一方の代表者を、よりよく、より輝かしい光彩をそえて、終りまでの頁を、立派なものにして残したいと望んだからであった。小さな断片でも永久に亡びない芸術品はあるが、貞奴のそれは大きく、広く、波動に包まれた響きの結晶である。それが末になって崩れていたならば、折角築きあげられたものの形を完全《なさ》ないではないか、わたしの理想からいえば、貞奴の身体が晩年にだけせめて楽をしようとするのに同情しながらも、それを許したくなく思った。芸術に生き、芸術に滅びてもらいたかった。雄々《おお》しく戦って、痩枯《やせが》れた躯《からだ》を舞台に横たえたとき、わたしたちはどんなに、どんなに彼女のために涙をおしまないだろう。讃美するだろう。美しい女優たちは、自分たちの前にたって荊棘《いばら》の道を死ぬまで切りひらいた女《ひと》の足|許《もと》に平伏《ひれふ》して、感謝の涙に死体の裳裾《もすそ》をぬらし、額に接吻し、捧《ささ》ぐる花に彼女を埋《うず》めつ
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