ざっぱく》な面影をとどめていて、むしろ恥多き晩年であったかもしれない。しかし彼れが動かずに、いつまでも自分に固定していようとは思われない。一層彼れは黒幕になって画策したことであろう。彼れはきっと女優全盛期に向っている機運をはずさず、貞奴をもっと高める工夫をこらしたに違いない。
それとても、彼女が願うように――いま福沢さんが後援しているように――表面だけ賑《にぎや》かしの興行政策をとったかも知れない、貞奴自身の望みとあれば……
貞奴に惜しむのは功なり名遂げてという念をおこさずに、何処までも芸術と討死《うちじに》の覚悟のなかった事である。努力が足りなかったと思う。わたしのいう努力とは、勢力運動のことではない。教養の事である。新時代に適するように頭を作る必要であった。そしたらいま彼女はどんな位置にいられたろう。芸術に年齢《とし》のあるはずはない。
二
貞奴は導かれて行きさえすればきっと進んでゆく人である。あるいは、もうあれだけで充分ではないか、随分花も咲かせて来た、後《あと》のことは後のものにまかせて、ちっとは残しておいてやった方がよいと言うものがあるかも知れない。そ
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