こうとしたことが画餅《がべい》になってしまったのを、大変残りおしく思う。
わたしの知人の一人はこういう事をいってくれた。
「花柳界には止名《とめな》というものがあって、名妓《めいぎ》の名をやたらに後のものに許さない。それだけの見識をそなえたものならば知らず、あまりよい名は――つまり名妓をだしたのを誇りにして、取っておきにする例がある。たとえば新橋でぽんた、芳町《よしちょう》で奴《やっこ》というように……」
その芳町の名妓|奴《やっこ》が貞奴であることは知らぬものもあるまい。
奴の名は二代とも名妓がつづいた。そして二代とも芳町の「奴」で通る有名な女だった。先代の奴は、美人のほまれだけ高くて早く亡びてしまった。重い肺病であったが福地桜痴居士《ふくちおうちこじ》が死ぬまで愛して、その身も不治の病の根を受けたという事であった。後の奴が川上貞奴なのである。
貞奴に逢ったのは芝居の楽屋でだった。市村座《いちむらざ》で菊五郎、吉右衛門《きちえもん》の青年俳優の一座を向うへ廻して、松居松葉《まついしょうよう》氏訳の「軍神」の一幕を出した、もう引退まえの女優生活晩年の活動時機であった。小さな
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