と高いところに達したと思はれる人だつた。わたくしの手許には、彼が晩年に殘した桐戸二枚の大きな牡丹花が、とても濶達に描かれてある。
 御維新ごろの世の中は、繪かきになどかまつてゐられない場合で、それから二十年か二十五年位しか經つてゐない時分であつたから、その當時の繪かきが、生活に困つたことなどが如實に來るので、興宗にしても、そんな話をすると先生たちが、先人のものを贋作したかのやうに、あやまつて聽きとられない怖れもないではないので、いや、はつきりきいたのではないが、たしかそんなこともあつたと、言つたことがあつたやうな氣もするがと、言ひ濁したやうだつた。
「郭子儀《くわくしぎ》」の圖とわたしはいつてゐるが、もつと目出たい題名がついてゐたのかどうかは忘れてしまつた。唐の郭子儀《くわくしぎ》夫妻が一人づつ中心になりその老翁夫婦をとりかこんで、一方には男子ばかり、一幅には女子ばかり集り、うから、やから、まご、うまごが、それぞれの場處に讀書し、語り合ひ、遊戲し、團欒してゐる、和氣靄々、子孫長久繁榮のやはらぎとよろこびが、全幅にあふれてゐるので、嫁入り、婿取りにはよく借りられた。ことに濱町に日本橋倶樂
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