武士道が興るのは歴史的の順序と思われるが少しく歴史の隠れたる力を研究したなら、たとえその名がなくとも武士道あって始めて武士が出現したと言うのが過言であるまい。道の道とすべきは常の道にあらずとやら、武士の道を武士道と名付ける間はまだ武士の守るべき常道を穿《うが》ったものではあるまい。いわゆる武士道なるものはその名の起る前に忠君の念、廉恥心、仁義、人道なる思想が少数の先覚者に現われて彼らはいわゆる士《さむらい》となって、その後武士の階級が起り以て武士道が鼓吹されたものであろう。今日この武士の階級が廃せらるるといえども、根本のいわゆる常道は決して失わせることなく広く施されて万民これを行えばこれが少数の武士階級に行わるるより遥《はるか》に有力な、かつ有益な道徳となるに違いはない。して万民|普《あまね》くこれを行えば最早《もはや》武士道と言われない、これが即ち僕の平民道と命名をした所以である。

[#5字下げ]デモクラシーは国の色合[#「デモクラシーは国の色合」は中見出し]

 デモクラシーといえば直ちに政体あるいは国体に懸《かか》るものと早合点する人が多い。僕はしばしば繰返してこの誤解を明かに
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