劣等なる町人百姓の心に堕ちよと絶叫するのではない[#「僕は今後の道徳は武士道にあらずして平民道にありと主張する所以は高尚なる士魂を捨てて野卑劣等なる町人百姓の心に堕ちよと絶叫するのではない」に白丸傍点]、已に数百年間武士道を以て一般国民道徳の亀鑑《きかん》として町人百姓さえあるいは義経、あるいは弁慶、あるいは秀吉、あるいは清正《きよまさ》を崇拝して武士道を尊重したこの心を利用していわゆる町人百姓の道徳を引上げるの策に出でねばなるまい[#「武士道を尊重したこの心を利用していわゆる町人百姓の道徳を引上げるの策に出でねばなるまい」に二重丸傍点]。丁度徴兵令を施行して国防の義務は武士の一階級に止まらず、すべての階級に共通の義務、否権利だとしたと同じように、忠君なり廉恥心《れんちしん》なり仁義道徳もただに士《さむらい》の子弟の守るべきものでなく、いやしくも日本人に生れたもの、否《いな》この世に生を享《う》けた人類は悉《ことごく》く守るべき道なりと教えるのは、取りも直さず平民を士族の格に上《のぼ》せると同然である、換言すれば武士道を平民道に拡げたというもこの意に外《ほか》ならない。
 武士があって
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