あるから、誰人《たれ》も士たらんことを望むであろう。さすればやはり「花は桜木、人は士《さむらい》」なりと歌っても、あな勝ち時代錯誤ではあるまい。しかし今日のいわゆる士《さむらい》は昔の武士のように狭い階級ではない、各自の力によって自在に到達し得る栄誉である。かくの如く同じ文字を使っても内容を全然変えれば外部は一貫してもその趣旨に於て大差を来たす。それと同然に別の文字を用いて趣旨を一貫する事も出来る。僕のいわゆる平民道は予て主張した武士道の延長に過ぎない[#「僕のいわゆる平民道は予て主張した武士道の延長に過ぎない」に丸傍点]。かつて拙著にも述べて置た通り武士道は階級的の道徳として永続すべきものではない、人智の開発と共に武士道は道を平民道に開いて[#「人智の開発と共に武士道は道を平民道に開いて」に白丸傍点]、従来平民の理想のはなはだ低級なりしを高めるにつけては[#「従来平民の理想のはなはだ低級なりしを高めるにつけては」に白丸傍点]、武士道が指導するの任がある[#「武士道が指導するの任がある」に白丸傍点]。僕は今後の道徳は武士道にあらずして平民道にありと主張する所以は高尚なる士魂を捨てて野卑
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