。彼はその国を愛するためにその国の短所を指摘して、彼らの執《と》るべき道を教えかつ彼らを導いてくれたのである。ただ惜むらくは予言者は自国に名誉を得ない、とかく彼らはいわゆる愛国者のために排斥せられ迫害され、その予言の的中するまでは無視され勝《がち》なものである。けれどもこういう人があって始めて国家は偉くなるものと思う。自分の一身を顧みず、道のために動く人がなければ、国は愛国者と称するデマゴーグの口に乗せられて、国運の傾くのを寧《むし》ろ助けるような始末になる虞《おそれ》がある。
この種の人は必らずどの国にもあるものと思う。現に僕は伊国《いこく》に於ても仏国にでもかくの如き人あることを知っている。また独逸《ドイツ》にも同様の人が今は追放同様の身になっているのを知っている。露国の如きに至ってはこういう人が数多《あまた》あって、何《いず》れも外国に流浪し、寒天に着るものもなく窮居している。
[#5字下げ]真の愛国者の態度[#「真の愛国者の態度」は中見出し]
せんだって某国人《ぼうこくじん》と談話を交えている間に、その人|曰《いわ》く、我国が貴国に言語道断の態度を執《と》ったのは、決して国民の大多数の意志を表わしたものでない、少数の政治家が選挙運動の都合からかの挙に出たものである。しかしいやしくも国家の大責任を有するものがああした態度に出たことは、そもそも我国の大に恥とするところである。自分は自分の国ながらも愛想がつきて、その国内に住むを屑《いさぎよ》しとせぬというた。これは一応我輩に対する言訳《いいわけ》のお世辞であるとのみ思うていたが、この人はその後、自国の家を引払って仏国の南部に家を構えた。爾後《じご》二ヶ月たったかたたぬ間に同様の話を他の人から聞いた。その人は当時外国にいたのであるが、そのまま其所《そこ》に住んで本国に帰らぬというていた。
あるいはこの人々の行為を以て非愛国の人と称する人もあるか知らぬ。しかし自分の政府の為《な》したことは、何事にもあれこれであるが如く認め、これに賛同しこれを助けることが果して真の愛国心であろうか。理非曲直の標準は一国に止まるものでなく、人類一般に共通するものである以上、寧ろ是《ぜ》は是《ぜ》、非は非と明《あきらか》に判断し、国が南であれ北であれ、はたまた東であれ西であれ、正義人道に適《かな》うことを重んずるのが真の愛国心で
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