あって、他国の領土を掠《かす》め取り、他人を讒謗《ざんぼう》して自分のみが優等なるものとするは憂国でもなければ愛国でもないと僕は信じている。

[#5字下げ]西洋にも現在伯夷叔斉あり[#「西洋にも現在伯夷叔斉あり」は中見出し]

 僕は右に挙《あ》げた二の例に接した時、直《ただち》に心に浮んだことは伯夷《はくい》叔斉《しゅくせい》の話である。この兄弟は国を愛すること熱烈で、周の武王が木像を載せて文王と称し、主君の紂《ちゅう》を討つ時、彼らは父が死んで葬《ほうむ》らぬ間に干戈《かんか》を起すは孝行でなく、臣が君を弑《しい》するは仁でないといって武王を諫《いさ》めたが用いられなかった。その国を愛するの情は武王自身または太公望呂尚《たいこうぼうろしょう》にも譲らなかったろう。彼の眼《め》には憂国より一層高いものがあって、その高いものに法《のっと》って始めて愛国が意義をなすのである。不正の方法を以て勢力を得るはかえって己の国を弱くするものであるとなし、義、周の粟を食わずといって首陽山に隠れた。あるいは彼らの見識が過《あやま》っていたこともあろう、現に周の時代は八百余年の久しい間続き、その政治は今日も模範として賞《ほ》められているに見ると、両人の識見にも遺憾《いかん》の点があるかの如く思わるるも彼らの隠れた動機に至りてはなお今日大に学ぶべきことであって、孔子が伯夷叔斉の如き善人と謂《い》うべきものと称賛したのも無理ならぬことである。前に述べた二人の某国人《ぼうこくじん》の心持の如きは、取りも直さず伯夷叔斉の心持を以て、自国の粟を食わずといって他国にその居を転じたので、そのやり方は同じである。伯夷叔斉の時代に海外に渡る大船があったなら、恐らく首陽山に隠れないで、日本|辺《あた》りに来たのであったろう。

[#5字下げ]愛国心の現わし方[#「愛国心の現わし方」は中見出し]

 我国には国を愛する人は多くあるが、国を憂うる人は甚だ少い。しかしてその国を愛するものも盲目的に愛するものがありはせぬかを虞《おそれ》る。かつてハイネの詩の中に、仏人が国家を愛するは妾を愛するが如く、独逸人は祖母を愛する如く、英国人は正妻を愛するが如くであるというた。妾に対する愛情は感情に奔《はし》ることが多く、可愛い時には無闇に愛するが、ちょっと気に入らぬ時にこれを擲打《ちゃくだ》するに躊躇《ちゅうちょ》せ
前へ 次へ
全5ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
新渡戸 稲造 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング