真の愛国心
新渡戸稲造

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)窺《うかが》う

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)石|以《もっ》て

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#5字下げ]国を偉大にする一の方法[#「国を偉大にする一の方法」は中見出し]
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[#5字下げ]国を偉大にする一の方法[#「国を偉大にする一の方法」は中見出し]

 長く外国におり、しかも日本人と交わること少く、かえって日々多数の国の人々と交わっていると、各国の国民性をいくらか[#「いくらか」に傍点]窺《うかが》うことが出来るように思う。我輩の勤めている役所に来ている人々は公式にその国の政府から任命されたるものでないから、国家または政府を代表するものではないが、国民そのものはこれを代表せざるを得ない。政府はこれを任命しないとしても、これを推薦《すいせん》するのであるから自分の国民を辱《はずかし》めるような人を出すはずはない。従《したが》ってこの役所に集まって来る人々は、国民性の長所を備えているものであるというも過言であるまい。故に日々交わっていて不愉快と思うものは甚《はなは》だ少く、性質の善《よ》く、交り易《やす》い人が多く、仕事するにも自《おのずか》ら愉快である。他山の石|以《もっ》て玉を磨《みが》くべしという教《おしえ》が世に伝えられているが、僕は各国人と交わり、各国人の長所を学びたい心持《こころもち》する。例えば某国人《ぼうこくじん》は頗《すこぶ》る勤勉である。ある国人は快闊《かいかつ》である、ある国人は機敏である、ある国人は耐忍が強いというが如く、他国人の長所を見るにつけても、自分の短所が一層|明《あきらか》になると思う。かくいうたならば、あるいは謙遜《けんそん》に過ぎて卑屈になる恐《おそれ》もありとするものもあるであろうが、仮りに僕自身は個人としてこの過《あやまち》があるとしても、国民全体はなかなか謙遜の態度を執《と》る恐もないから、僕は寧《むし》ろ我国民性に如何《いか》なる欠点あるかを省るのが国を偉大にする一の方法でないかと思う。言葉を換えて言えば反省、自己の過を知ること、己の短所を自覚すること、これが大《おおい》に伸びんとする前に大に屈せねばならぬという訓《おしえ》に適《かな》うことで、これがなければ国民は慢心する
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