本の農業改良のために、どれだけの事を尽されたかというと、何だか知らぬが、僕の眼にはあまり大きく見えない。山高きが故に貴からず、木あるを以て貴とし、位あるがために貴からず、人格あるが故に貴しとす。位地と人格との差は大なるものである。日本の教育に於いては普通仏蘭西風に、皆おれはどういう地位を得たい、銀行の頭取になりたい、会社の重役になりたい、あるいは役人になりたい、しかも高等文官になりたいといって、初《はじめ》からその位地を狙っている。そうしてそれがために五年なり十年なり奔走している間に官制改革……ヒョイと顛《ひっく》り覆《かえ》ってしまう。職業教育を狭くやると、そういう弊に陥《おちい》って来る。それならといって、僕は決して職業教育をするなというのではない、職業を求むるために教育をすればまた宜いこともある。それは独逸の例を見れば分る。かの鈍い独逸人、あれほど国民として鈍い者はあるまいと思われ、皆が豚を喰い、ビールを飲んで、ただゴロゴロとしているので、国民としては甚だ智慧の鈍い者である。そうして愛国心なども有るのか無いのか、ようよう三十余年前に仏蘭西と戦争をして勝ったから、アアおれの国もやッ
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