教師になりたい、役人になりたいと、位地をチャンと狙ってやっている。かようかようの位地を得たい、それにはこれだけの学問が要《い》る。即ちこれだけの準備をするために何程の金を要するといって、チャンと算盤を弾いてやるから、これは仕事を求むるのではない、位地を求むるのである。能く考えて見ると、これは独り仏蘭西ばかりでない、世界各国とも、皆そういう傾向になっているであろうが、就中《なかんずく》仏蘭西が最も著しいのである。
 これを日本の例に取ると、少しく政治論のようだが、例えば農学をやる、何故農学をやるかというと、おれは日本の農業を改良したいからだと言うであろう。されど日本の農業を改良するに就いては、種々の方法があるので、尽《ことごと》く自分一人でやらなくても宜《よ》い、それは到底出来ることでない。各個分業で農業の方法を漸次改良すれば宜いのである。けれども一つ間違うと日本の農業を改良するには、どうしても農商務大臣にでもならねばならぬ、そういう地位に達しなければ仕事が出来ないように思う人もある。然るに明治十四年に農商務省が出来てより今日に至るまで、農商務大臣が幾人変っているか知れぬ。そのお方々が日
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