した。彼が蒼い顔をして沢畔に行吟していると、其所《そこ》へやって来た漁父が、「滄浪之水清兮、可[#三]以濯[#二]吾纓[#一]。滄浪之水濁兮、可[#三]以濯[#二]我足[#一]」と歌って諷刺した。この歌の意味は、「お前が厭世家になって河に飛込み、あたら一命を捨つるのは馬鹿なことだ。聖人というものは、世と共に歩調を進めて行かねばならぬ、今死ぬる馬鹿があるか」という意味であろう。してみると屈原よりも、漁父の方に達見がある。またかの伯夷《はくい》叔斉《しゅくせい》は、天下が周の世となるや、首陽山に隠れ、蕨《わらび》を採って食った。その蕨は実に美味《おい》しかったろうが、我輩の伯夷叔斉に望みたいことは、蕨が美味しかったなら、何故その蕨を八百屋へでも持って来て、皆の人にも食わせるようにしてくれなかったか、また蕨粉の製造場でも拵《こしら》えて、世間の人と共にこれを分ち食するようにしなかったかということだ。自分ばかり甘い甘いと食っているのでは、本当の人間といえない。故に我々は孤立的動物でない、人間をソシアスとして考えねばならぬ。即ち人間は社会に生存すべき者であって、決して社会以外に棲息の出来ないもの
前へ
次へ
全45ページ中38ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
新渡戸 稲造 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング