であることを自覚せねばならぬ。また人間はただの動物とは異っている。また単に道徳的万物の霊長というのみでもない。人間は社会的の活物である、故に人間をソシアスとして教育することが、最も必要なりと確信するのである。
 我日本に於いては、封建|割拠《かっきょ》の制度からも、自然と地方地方の人の間に隔壁を生じ、互に妙な感情を持つに至った。近頃は大分に矯正されたけれども、なお大分残っている。なおまた人怖がらせをするような、妙に根性の悪いことがある。折々書生仲間の中には、頭髪を蓬々とし、肩を怒らし、短い衣服を着て、怖い顔付をし、四辺を睥睨《へいげい》しながら、「衣至[#二]于肝[#一]、袖至[#二]于腕[#一]」などと謳《うた》って、太い棒を持って歩いている。そうしてなるたけ世間の人に不愉快な観念を与える。それを世間の人が避けると、「おれの威厳に恐れて皆逃げてしまう」などといって悦んでいる。女小供は度々そういう書生に逢うと、「また山犬が来たナ、噛附きそうだから避けよう」と思って避ける。しかし犬なら犬除《いぬよけ》の呪もあるけれど、四本足ではなくて、二本足で歩いている奴だから、「何だか気味の悪い奴だ」
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