である。また自分も一種の偏窟な人間であるのを、「おれは学者風だ」と喜んでいる人もあるが、僕の理想とするところはそうでない。「あれはちょっと学者みたような、百姓みたような、役人みたような、弁護士みたような、また商人のような所もある」という、何だか訳の分らぬ奴が、僕の理想とする人間だ。然るにそれを形の上に現わして、縞の前垂を掛けているから商人だ。穢《きたな》い眼鏡を鼻の先きに掛け、髭《ひげ》も剃らず、頭髪を蓬々としていれば学者だといい、その上傲然として構えていれば、いよいよ以てエライ学者だというように、円満なる発達の出来なかった者を以て学者風というのは、そもそも間違った話だと思う。けだし学問の最大目的は人間を円満に発達せしむることである。
 今日は学問の弊として、往々社会に孤立する人間を造り出す。彼のギッヂングスの社会学に「ソシアス」(Socius)という語があるが、これは「社会に立って、社会にいる人」の意である。実にその通りで、いやしくも人間がこの世に在る以上は、決して孤立していられるものでない。人[#「人」に白丸傍点]という字を見ても、或る説文学者の説には、倒れかける棒が二本相互に支う
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