いるを見れば、必ずそれだけでは人生を完《まっと》うしたということが出来ぬ。してみれば専門の事は無論充分に研究しなければならぬが、それと同時に、一般の事物にも多少通暁しなければ人生の真味を解し得ない。今日の急務はあまり専門に傾き過ぎる傾向をいくらか逆戻しをして、何事でも一通りは知っているようにしなければならぬ。即ち菊の花のことに就いていえば、おれは菊花栽培に最も精通している、それと同時にちょっと大工の手斧ぐらいは使える、ちょっと左官の壁くらいは塗れる、ちょっと百姓の芋くらいは掘れる。政治問題が起れば、ちょっと政治談も出来る、ちょっと歌も読める、笛も吹ける、何でもやれるという人間でなければならぬ。これは随分難かしい注文で、何でも悉くやれる訳にも行くまいが、なるべくそれに近付きたい。いわゆる何事に就いても何か知ることが必要である。これは教育の最大目的であって、かくてこそ円満なる教育の事業が出来るのである。ここに至って人格もまた初て備わって来るのであろうと思う。
然るに今日では妙に窮窟なることになっていて、世の中に一種偏窟な人があれば、「あれはちょっと学者風だ」というが、実は人を馬鹿にした話
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