は、一方から考えると非常に高尚な事である。然るに日本人には道楽に学問するという余裕が未だないといっても宜い。
日本人は頭に余裕がない。西洋人には余裕があることに就いていえば、かの英吉利の政治家を見るに、大概の政治家は何か著書を出すとか、あるいは種々の学術を研究している。今の首相も、せんだっての新聞に載せてあるところを見ると、何とかいう高尚な書物を著《あら》わしている。グラッドストーンの如きは、あれほど多端な生涯を送ったにもかかわらず、常にホーマアの研究をしていた。故《もと》の首相ソールズベリー侯は自宅に化学実験室を設けておいて、役所から帰ると、暇さえあれば化学の研究をしていた。前首相バルフォアの如きは二、三種の哲学書を著している。然るに日本の国務大臣方にはどういう御道楽があるか。学者の読む真面目な書物などをお著わしになったことは一切ないという話である。それならどんな事をしてお出《い》でになるか、能くは分らぬ。酒席で漢詩でも作らるるが関の山であろう。してみると道楽のために学問をすることは、日本では未だ中々高尚過ぎるのである。その一つの証拠には、『女道楽』、『酒道楽』、『食道楽』というよ
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