うな書物は出ているけれど、『学問道楽』という本は未だ出ていない。そういうものが出ねばいかぬ。村井さんももう少し世の中が進んだならば、『学問道楽』というものを書くだろうか。私は村井さんの存命中に、そういう日の来《きた》らんことを希望するのである。
学問の一つの目的として道楽を数えることも、決して差支えなかろうと思う。ちょっと聞くと差支えるように思われるけれども、意味の取りように由っては実際差支えがない。あるいは道楽を目的として教育するのは、おかしいという人があるかもしれぬが、しかし華族さんの如きは別に職業を求むる必要がない。そういう人は道楽に学問するのが大《おお》いに必要であろうと思う。否、華族さんでなくても、一般に道楽に学問をしたら宜い。即ち学問の研究を好むようにならねばいかぬ。それのみならず、我々が家庭に在《あ》って子弟を養育する際にも、学問道楽を奨励したい。然るに今日では、学問は中々|楽《たのし》みどころでない、道楽どころではない、よほどうるさい、頗る苦しいもののように思われている。それというのは、昔は雪の光で書物を読んだとか、蛍を集めて手習をしたとか、いわゆる学問は蛍雪の功を積
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