なれど、時々左官の子にして左官に満足しない奴も出て来た。あるいはお医者さんから政治家が出たり、左官から慷慨《こうがい》悲憤の志士が出たりした。これは何かというと、教育というものは程度を定め、これ以上進んではならぬといって、チャンと人の脳膸を押え附けることの出来ないものであるからだ。
少年が大工になろうと思って工業学校へ這入《はい》るとする。然《しか》るに彼らは工業学校を卒業した暁に大工を廃《や》めてしまい、海軍を志願する、かかる生徒が続々出来るとする。すると県知事さんが校長を呼んで、この工業学校は、文部省から補助金を受けているとか、あるいは県会で可決して経費を出しているのであるとかいい、その学校の卒業生にして海軍志願者の多いのは誠に困ると、知事さんらしい小言をいう時には何《ど》うであるか。「お前は海軍の方へ這入り、海の上の大工になろうというのでもソレはいかぬ。大工をやるは宜《よ》いが、海上へ行ってはいかぬ、陸上の大工に限る」とチャンと押え附ける[#「押え附ける」は底本では「押へ附ける」]事が出来るか、それは決して出来ない。日露戦争に日本の海軍が大勝利を博し、東郷大将が大名誉を得られた
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