。明治の歴史にこれほどエライ人はないということをば、大工の子供も聞いている。それに倫理の講堂では、一旦緩急あらば、義勇公に奉じ云々《うんぬん》と毎々聞いている。それで彼らが、これは陸上におったて詰らない。小屋だの料理屋だのを建てているよりも、おれも一つ海軍に入って、第二の東郷に成ろうという野心を起すことがありとしても、それは無理がない。そこで育の字だ、この上の方の子[#「子」に白丸傍点]が美味の肉を喰おうと思い、此方《こちら》へ向いて来るのもまた当り前である。それをこちらへ向かせまいと思ったら、あちらの方にも一つ美味しい肉を附けて、大工は東郷さんよりもモウ一際エライぞということを示さねばならぬ。ところが大工が東郷大将よりもエライということはちょっと議論が立ちにくい。ヨシ立ったところで子供の頭には中々這入らない。止むを得ない、社会の趨勢《すうせい》で、青年がドウしても海軍に行きたがるようになった時には、これを押え附けることは出来ない。けれどもその局に当る教育者が、なるたけ生徒をその職業の方に留めたいなら、その職業の愉快なること、利益あること、しかもただ個人のためのみの利益でない、一県下、
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