るから」と兄に云ひ置いて、直ぐ近所の、素人《しろうと》下宿の二階に住んでゐる佐治のところへ馳《か》けつけた。
 その朝に限つて、到底まだ寝てゐることだらうと思つた佐治が、起きてゐた。もうキチンと座敷の中がとり片づけられて居、トランプをするために買つたと云ふ大きな一閑張《いつかんば》りの机が、座敷の真ン中へ、彼の花車《きやしや》な体をぐたりと靠《もた》せかけさせるために持ち出されてゐた。彼はパイプを啣《くは》へて、悠々《いういう》と青い煙を吐いてゐた。
「やあ」
 佐治は、座敷の入口に立つてゐる私の姿を認めると、快活に呼びかけた。
 私は彼の口から、彼の幸福さうな赤い顔に似合しいやうな浮々した言葉が、無造作《むざうさ》に浴びせかけられることを思ふと堪《たま》らない気がされた。昨夜の放埒《はうらつ》な記憶に触れずにすむためには自分の方から、何か先に口を切らねばいけないと思つて、暫《しばら》くの間云ふ可《べ》き言葉を頭の中で整理してゐた。
「……今日、雑誌の発送の手伝ひをするつて約束しておいたがね、今一寸前、兄貴がやつて来て、直ぐこれから家へ行かなくてはならない。木村の姉さんがね、死にさうな
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