うな声を出した。
「これは、一匹幾らなんです」
 私は顰《しかめ》ツ顔をして云つた、それでも、ここまで来て、買はずに帰るのも業腹《ごふはら》だつたので……。
「へえ、ありがたうございます。一匹拾銭といふことになつては居りますがな、その、七匹で六十銭といふことに願つてゐるのでございます」
 かう、番頭が引きとつて云つた。
 私は一匹だつてこんな虫に用はないと思ひながら、番頭に七匹買へば安いと云はれると、小切つて買ふことも出来ないやうな気持になつてゐた。
「ぢや七匹買つて置かう」
「へえ、へえ、誠にどうもありがたうございます」
 私は、やがて、さも貴重品でもあるかのやうに、小さな桐《きり》の箱へ入れられたりしたイボタの虫を、番頭から受け取つて、ムカムカしながら戸外へ出た。

 姉は心臓|痲痺《まひ》を起して了つてゐて、木村へ私が駆けつけた時分には、顔をみてももう私だとは解らぬらしくなつてゐた。私はイボタの虫の這入つた箱を母へ渡した。母は一寸|葢《ふた》をあけてみて、黙つて、涙ぐんだまま袂《たもと》へ入れた。姉は、義兄や、母や、兄や、前田の姉や、花子や、雪子や、私などに枕許《まくらもと》をと
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