ふ妙な薬が、存外不思議な効果をあらはすかも知れない。何とも知れない……」かう思つて、私は一生懸命走つたのだ。が直ぐ走りくたびれて、馬鹿らしくなつて歩いて了つた。ぬかるみへ下駄をとられさうになる度に、兄と一緒に木村へ馳けつけて了はなかつたことが悔いられた。癇癪《かんしやく》が起つてきた。悲しみと癇癪とがゴチヤゴチヤに迫つてきて、私は外套のポケットへやんちや[#「やんちや」に傍点]に手を突つ込んだまま、涙で顔中ぬらぬらと濡《ぬ》れてくるのを拭《ぬぐ》はうともしずに、馳け出してみたり、馬鹿らしくなつて歩いてみたりしてゐた。
 やがて、「元祖黒焼」と看板の出てゐる土蔵造りの店が、街《まち》の角に見えた。黒い漆地《うるしぢ》に金文字で書かれた毳々《けばけば》しい看板が、屋根だの軒だのに沢山かけられてゐる。私は劣《けおと》されて、その家には這入《はひ》り切れずに通り過ぎた。が、それでも暫《しばら》く行き過ぎてから、やや小さな「黒焼屋」の前に通りかかつて、やつと決心して、のめり込むやうに店の中へ這入つて行つたのだつた。
 店の中には、この寒空に、羽織も着てゐない青んぶくれの番頭がたつた一人ゐた。帳場
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