ですね……」
 かういつて、車掌は、「かへり」の切符を私へ渡さうとした。珍らしく人の好い車掌のそんな行為までを、その時私は人前で辱《はづか》しめられたやうに感じて、赤くなつてゐた。乗換切符をくれろといふことも出来なくなつて、私は急いでそこを立ち去つた。
 私は広小路の四辻《よつつじ》に立つて、品川行か日本橋行の電車が来るのを待つてゐた。暫く待つてゐたが、品川行も日本橋行もなかなかやつて来なかつた。私は苛々《いらいら》して来て、決心して、黒門町の方へと歩き出した。歩き出して暫くしてから、あとから電車が来はしたけれども、引返すのが面倒臭くなつて、そのまま私は歩いて行つた。
 路はぬかつて歩き難《にく》かつた。解けかかつてグシヨグシヨした雪路は、気が急《せ》いてゐても、なかなか捗《はかど》らなかつたのだ。
「ヒヨツとすると今時分、姉さんは死にかかつてゐるのぢやないかしら……」
 一歩一歩今自分が、姉の家とは反対の方向へ歩いてゐるのだといふ意識が、そんな風に思はせるのだつた。もうずつと遠く姉の家から隔つて了《しま》つた気がした。私は急《せ》いて、馳《か》け出した。
「さうだ。イボタの虫なんてい
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