ことだけでも喜んでくれるのだ。――死んではいけない。今は、何でも彼《か》でも死んではいけない。姉の愛に、好意に、私らしく報い得る時節の来るまでは、どんなにしても死んでくれては困ると、私は駄々ツ子のやうに心に思つた。冷たい真鍮の棒を、ギユツと強く握りしめながら。電車は、不意にずり落ちるやうに、切通しの坂を下つて行つた。
「死んでくれるな」
 私は目をつぶつて、かう又姉のために祈らずにはゐられなかつた。姉に似て神経質な、臆病な、男の子らしくもなく色まで白い達坊のやんちや[#「やんちや」に傍点]な姿などが思ひ浮べられる度に堪《たま》らなくなつて、ほろ、ほろと涙を落した。強い気でゐようと思つても、胸から喉《のど》へ棒でもさされてゐるやうに、迫つてきて、啜《すす》り泣かずにはゐられなかつた。――やがて、広小路の停留場へ来て了つてゐた。
「もし、もす、貴方《あなた》切符を……」
 電車を降りると、自分を呼んでゐる車掌の声が背後でした。私はふと気がついた。あわてて切符を買はずにゐた自分を思ひ出しながら。懐《ふところ》から蝦蟇口《がまぐち》をとり出したのだ。
「貴方にはたしか、三丁目で、十銭頂きました
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