り過ぎていて変であった。かつて猿若で平山武者所をやった浅尾奥山が帯屋の長吉をした。大きな体で前髪姿のおかし味は興があった。赤岩一角については、猫の正体を現わした際に指さきがギラギラ光っていたことと、それから源八を欺いて殺そうとする時、寝床の前に、躓かせるためにいろいろの物を並べる赤岩の門弟達の挙動とが目に残っているばかりである。
私は読本や草双紙を知っているので、それと芝居と違うのが気になった。昼飯は茶屋へ行って、そこで普通の膳が出て食べた、厚焼の玉子のうまかった事を今も忘れぬ。夕飯はちょっとしたものであった。食事は江戸に比してすべて粗末であったが、菓子は立派に高杯《たかつき》に沢山盛られてあった。出入の商人などは時々私の家族などに面白可笑しく話をしかけ、役者の批評などもした。祖母二人はさほど芝居の趣味をわからぬので、ただ役者の顔を珍らしがって眺めていた位のことであった。
父が京都の留守居を勤めたのは八ヶ月で、翌年の夏藩地へ帰ったので、家族が京都で芝居を見たというのは唯この一度であった。しかし私は今は新京極というその頃の誓願寺や、錦小路天神、蛸《たこ》薬師、道場、祇園の御旅には、い
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