家などは稀に祇園町へも連れて行かねばならなかったらしい。
 父は京都に着くと、まず他藩の留守居に対して、ヒロメの宴を祇園町に張った。その翌日、祇園町から菓子を贈って来たが、その見事なことは、実に家族等の目を驚かした。
 父は役柄とはいえ、絶えず面白く遊びうまい物を食うので、家族にも何か面白い遊びをさせようと思い、出入の者も勧めるので、遂に大英断で、四条の大芝居を見せるということになった。継母は彦之助の胎毒がまだ治らぬので留守をし、私と祖母二人と出入商人で出かけた。
 四条では南座が始まっていた。これが江戸の猿若以来二度目に見る大芝居である。その頃の京都の芝居は、幕数が非常に多かった。七ツ時(午前四時)に提灯つけて出かけて行き、桟敷へ行くと、二間買切で取ってあった。そのうち鍋に餅を入れた雑炊を持って来る。それが朝飯である。
 やがて幕が開くと、忠臣蔵で、序から九段目までした。二番目が八犬伝の赤岩《あかいわ》一角《いっかく》の猫退治で二幕、それから桂川《かつらがわ》連理柵《れんりのしがらみ》の帯屋から桂川の心中までを演《や》った。打出してから帰ると、もう夜半であった。座頭は三升《みます》大
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