ということになり、それにしても、父は頑固な方ゆえ、京都あたりの留守居でもさせたら、少しは角が取れるだろうとの考えから、こういう役をいい付かった様子である。
 京都の留守居といえば、禄高も増し、よい地位であり、首尾直りの上からは目出度《めでた》いのであるが、家族等はとかく国を離れることを厭がり、江戸に居てさえ帰りたい帰りたいといっていたほどであるから、今度の京上りも、家族等のためには憂であったのである。私も何だかやや馴染んだこの藩地を離れるのが厭なようであり、親友と別れることも残惜しかった。
 親類等が遣って来ては、我々家族を慰め、長いことではあるまい、そのうちまた藩地へ帰ることになろう、と慰めた。父は別に嬉しいとも悲しいともいわぬ性分であったから、唯黙って京都行きの準備をした。唯、私の文武の修行を怠らせるのを残念がって、長くなるようなら父の実家へ私を預けて修行させることにしよう、といっていた。
 八月いよいよ三津から藩の船に乗って、京都をさして上ることになった。三津までは親類も送って来た。別を惜んで落涙する者もあった。この海路は非常に風が悪かった。追手続きなれば三昼夜で大阪に這入れるが
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