江戸で初幟をした折の、長い幟と四角なのとを立てた。七歳以上になると立てぬもの故、次々と弟に譲ったので、弟の初幟といっては、別に買わなかった。この正月継母が更に男子を生んだ。それは彦之助と名づけた。
 段々と暑くなった。私も学問所や武場の友達が殖えたので、それらの人とよく遊んだ。その頃子供の遊びとしては城下の外の小さな川へ鮒や鯉を釣りに行くことで、少し荒っぽい方では泥鰌《どじょう》をすくう。私はあまり殺生を好まなかったが、年上の者等に連れられて行くこともあった。
 あるいは蕨《わらび》取り、あるいは茸狩《きのこがり》に、城下近い山へ行くこともあった。山の上で弁当を食うことは宜かったが、茨にかき裂かれなどして茸など取ることは、私には唯面倒な事としか思えなかった。そんなことをするより、内でまだ読まない本をそれからそれへと読んで行く方が面白かった。
 そうしているうちに、或る日私が外から帰って来ると、継母や祖母が憂に沈んでいる。不思議なことと思ったが、父が京都の御留守居をいい付かった故と知れた。
 去年不首尾で帰ってから一年たったので、元来父は藩では才力のあった方ゆえ、長く休ませて置くでもない
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