賜わったものである。そしてかの持寄りの薪で沸かした湯が沸くと、各弁当を食べる。我々の食う時はいつも湯が無くなっていた。弁当の菜はめいめい有合わせを持って行く。藩地では私どもは、猪や鹿などを狩りして来たのを分けてもらい、または店から買って時々食べたので、この菜にも稀には獣肉を持って行った。すると外の者等が覗込んで、『ヤマク(山鯨)を持って来た。』とはいいさまドシドシ奪われてしまって、やっと一きれ位しか自分に食べられなかった。けれどもヤマクを持って行くという事は私どもの誇であった。この菜の掠奪は多くの者がやられたもので、中にはまず菜のなかへ自分の唾をはき込んで、掠奪を防ぐ者もあった。藩地でも獣肉は高価であったから、そう度々食うことは出来ないのである。
 武芸のうちには明教館以外で大砲や小銃の稽古もした。小銃に入門をして或る許しを受けた以上は、銃を持って獣狩に行くことが出来た。まだその頃は、少し城下を離れた山には、鹿などが居たもので、それを打取って来れば、一部分を師匠及び高弟に贈る。なにがしが鹿を獲て帰ったと聞くと、近所からも少しいただきたいといって貰いに来る。それを乞うに任せて分ったので、
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